古代オリンピックは男子選手のみ
男神ゼウスを崇める儀式
紀元前1000年頃までは男も女も狩猟採集や農耕を行い、余暇には身体を動かす活動をしていました。
このような身体活動が「競技」として整備されました。古代ギリシャでは「健全な肉体に健全な精神が宿る」と考えられ、身体を鍛えることが重視されました。そして、身分の高い人物は身体能力に秀でていたことから、亡くなると死者を追悼する競技会を催す慣習がありました。
古代オリンピック(the ancient Olympics)は、紀元前776年に古代ギリシャのオリンピア(オリュンピア)で始まりました。オリュンピア大祭とも呼ばれています。一説によると、トロイア戦争で亡くなったパトロクロスを追悼するため、親友のアキレウスが競技祭を行ったのが古代オリンピックの由来とされています。
開催地のオリンピアは、ギリシャ神話の全知全能の神ゼウスの聖地であり、ゼウスが男神であることから、古代オリンピックは女人禁制でした。つまり、男子選手のみ参加することができました。
女性は参加だけでなく、観戦することすらできませんでした。古代オリンピックを観戦できたのは、女神デメテル・カミュネの神官に選ばれた女性だけで、それ以外の女性は、禁止期間中にオリンピアに入ることも禁止されていました。
アテネとスパルタ
古代オリンピックが始まる前、古代ギリシャではポリス(都市国家)が形成されていました。
ポリスは互いに敵対しており、境界線を争う小競り合い、侵略、略奪は日常茶飯事でした。敗北したポリスの男性は殺害され、女性や子どもは奴隷にされました。そのため、市民は家族を守るのではなく、自分の命とポリスを守るために肉体を鍛え上げる必要がありました。そして、国防に貢献した兵士が政治に参加するようになり、政治的発言力が強くなったため、男性優位の国家となったのです(後述)。
古代ギリシャのポリスのなかで特に、アテナイ(アテネ)とスパルタの2つが軍事強国で、いずれも男性優位の国家でしたが、考え方は対照的でした。
- アテナイ(自由経済国家):亭主関白、女は家から出てはいけない
- スパルタ(軍事国家):かかあ天下、女は強い兵士を育てるために鍛える
アテナイでは、商工業が盛んで、経済的に豊かな兵士が高性能な武器を買って闘いました(重装歩兵)。かつての日本と同じく、夫が家庭内で主導権を持っていたため、妻は家から出ることはありませんでした。もちろん激しいスポーツをすることは制限され、美しく生きることが求められました(Figure 1)。
一方、スパルタは「スパルタ教育」で有名な軍事国家であり、女子も男子と同じように子供の時から肉体的な鍛錬が行われました。男女がお互いの前で裸になること、公開の場で全裸で競技や行事に参加することを恥ずかしいと思うこともなく、競走、レスリング、円盤投げ、やり投げなど運動競技も裸で行いました(Figure 2)。
スパルタでは、妻が家庭内で主導権を持っていたため、他のポリスと比べて女性の権利や地位は認められていました(男より強かった)。戦争に勝利するために優秀な兵士を作ることが求められ、母親が強い子供を産み、出産に耐え、強い男子を育てられるようにするために鍛えていました。
いずれにしても、男性優位の国家である古代ギリシャが、強い兵士を育てるためにスポーツを行っていたので、古代オリンピックは「男子のみ」とされたのです。
軍事力とスポーツ
古代国家が強大な軍事力を持っていた理由
男性中心のスポーツを理解するには「なぜ古代の国々は軍事力が必要だったのか」を理解しなければなりません。例えば、古代エジプト軍は、第19王朝ラムセス2世(紀元前1303年~1213年頃)の時代に10万人以上の軍隊を保有していたと推定されています(Figure 3)。
古代の国家が軍事力を持っていた理由は主に3つあったと言われています。
- 自分の土地を守るため
- 土地を耕作する使用人の人手不足を補うため
- 生産に必要な原材料(金属、木材など)を得るため
農耕社会が成立すると、豊かな耕地、収穫物、水利権などを奪おうとする者が現れ、それに対抗するための武装組織(警察のようなもの)を結成しました。農作物は常に安定して採れるわけではないので、近隣部族の襲撃は頻繁にあったようです。
例えば、スーダンにあるジェベル・サハバ墓地遺跡では、12000年前の人間同士の戦闘行為による多数の遺体が発掘されています。また、シリア・イラク国境にあるハモウカル遺跡では、紀元前4000年頃に攻め滅ぼされた城跡が発見され、都市を陥落させたと考えられています。
さらに、自衛をするだけでなく、有能な人材や豊かな資源を得るために隣の地域に侵攻することによって自国を安定させようとしました。優れた軍隊を作るためには、日頃の生産活動から離れて特殊訓練を受けた集団を作る必要があります。チンギス・ハンは自分の部下を中心に優れた遊牧軍団を組織することによって史上最大のモンゴル帝国を作り上げました。
古代ローマの女剣闘士
古代ローマでは、軍事訓練を兼ねてスポーツが盛んに行われました。今から2000年前のローマ帝国には、女の剣闘士がいました(Figure 4)。
女剣闘士は、男の剣闘士と同様に円形闘技場での対戦が組まれました。ローマ皇帝ドミティアヌスは西暦88年、夜間に女剣闘士同士の試合を開催しました。下の Figure 5 は、トルコのハリカルナッソスで見つかった大理石のレリーフで、アマゾンとアキリアという名前の2人の女剣闘士が向かい合って闘っている場面が描かれています。
また、古代ローマ時代の詩人ユウェナリスは、メヴィアという女狩人が競技場で胸をさらして、槍を手に持ってイノシシを狩り、丸見えでしゃがんで放尿していたと記録しています。
戦車競走の女性優勝者
戦車競走が最初に古代オリンピックの競技に加わったのは紀元前680年の第25回大会とされています。2頭立てまたは4頭立ての馬車を改造した戦車が使われ、競技会では人気の種目でした(Figure 6)。
古代ギリシアの競技会では、戦車競走はオーナー(馬の所有者)である貴族が富を誇示する場であり、戦車の制御を奴隷にさせ、優勝賞品はオーナーが受け取りました。そのため、女性は古代オリンピックの参加資格がありませんでしたが、裕福な女性が良い馬を所有している場合、その馬が優勝すれば勝者となることができました。
紀元前396年の第96回大会では、スパルタ王アルキダモス2世の娘キュニスカは、自らが所有する戦車が4頭立て戦車競走において勝利をあげたため、古代オリンピック最初の女性優勝者となりました。優勝後、彼女はオリンピアに大小2つの青銅像を建て、大きな像の台座には「栄冠を得た唯一の女なり」という碑文を刻んだと伝えられています。
王女キュニスカの勝利は、当時の女性スポーツには何ら影響を与えることはありませんでしたが、現在の日本においては、現代型戦車の操縦や指揮をする女性自衛隊員が活躍しています(Figure 7)。
男神が国家を作ったという神話
なぜ男が支配するようになったのか
古代オリンピックが男性のみとなったのはもともとオリンピア祭(オリンピュア大祭)が男の神であるゼウスに捧げる祭りだったからです。ギリシャ神話の主神ゼウスをはじめ、古代オリンピックが行われた地域周辺の主神(最高の神として一般的に崇拝された神)はだいたい男神であり、男神が世界を創造したと信じていました。
文明が始まった当初は男性中心の部族と女性中心の部族が戦っていたと思われますが、やがて武力に勝る男性中心の部族だけが残ったと考えられています。そのため、近隣部族の襲撃に備えるには、男性が国を支配したほうが良いということで、その理由付けとして、男神が世界を創造した、または男神に代わる支配者が国を守っているといった神話が言い伝えられています。
しかし、男性優位の社会の中で「女神」が淘汰されたのかというとそうではなく、むしろ「自由の女神」「勝利の女神」のように現在も信仰を集めています。男性が支配する社会のなかで男性が支配できないもの(例えば、自然現象、運命、勝敗、妊娠出産)は女神が守護していて人間界を見守っていると考えられています(Figure 8)。
オリンピアでは古代オリンピックと同時期に、女神ヘラ(ゼウスの妻)に捧げる祭「ヘライア祭」も行われました。ヘライア祭は女子のみが参加しました。
エジプト神話
エジプト神話における創造の神は「アトゥム」であり、太陽神の「ラー」と合体・融合し、古代エジプトでは最も重要な神とされました。
エジプト神話によると、アトゥムは最初に誕生した神(男神)であり、相手となる女神がいないので万物を創造することができませんでした。しかし、ピラミッド内部に刻まれた聖典「ピラミッド・テキスト」の記述(紀元前2686年~2185年頃)によると、アトゥムの右手の部分だけは女性であり、身体の大部分は男神の姿でありながら女性器も持つ両性具有の神であったため、他の神々を生み出すことができました。
つまり、アトゥムは、女性器である右手で勃起した自らのペニス(男根)を刺激して、オナニー(自慰)をすることにより、性交を成功させていたのです(Figure 9)。
そして、古代エジプトでは、ファラオ(王)はこれらの神々の子孫であるとされていました。ファラオは神の権限を持って支配していました。そのため、農耕に必要な水分と栄養分をもたらすナイル川で、ファラオがオナニーをして精液(聖液)をナイル川に流して豊穣と繁栄を祈願するという儀式が行われていました(女王の場合は不明)。
メソポタミア神話
チグリス川とユーフラテス川の流域で始まった古代メソポタミアでは、水の神エンキ(男神)が信仰されていました。メソポタミア神話では、チグリス川とユーフラテス川は、エンキがペニスを持ち、オナニーをして精液(聖液)を流したことによってできたとされています。
古代オリンピックの終了
古代オリンピックは、紀元前776年から西暦393年の第293回大会までの約1169年続きました。しかし、紀元前146年、ギリシアはローマに支配され、古代ローマが支配する地域から参加しました。
そして、ローマ帝国の皇帝テオドシウスがキリスト教を国教と定めたことで、ギリシャ神話に基づく古代オリンピックは終了しました。